« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

双子妊娠までの道のり その3

妊娠検査薬で陽性反応が出た翌日、車をぶっ飛ばしてKクリニックに向かった。
採尿し、結果を待つ。

自分の名前が呼ばれ、診察室に行く。

おはようございます。よろしくお願いします。

私が椅子に腰を掛けるやいなや、先生はアッサリ「妊娠反応が出てますから内診しましょう」と言った。
おお、やはり妊娠かいっ。

ドキドキしながら内診台に上がる。
エコーで子宮内の様子を見る。でも、別段変わった様子はないような???
受精卵が・・・ない・・・???

内診が終わり、ドクターから話を聞く。
妊娠反応が出ているにも関わらずエコーに何も映らないというのは
1.まだ時期が早すぎて受精卵がエコーに映らない
2.子宮外妊娠
以上2つの可能性があるとのこと。

ええええええっ、子宮外妊娠だったらどおしよう・・・
確か大学時代の友人が子宮外妊娠をしたため、開腹手術をしたと聞いたっけ。
不安がつのる。
そしてまた1週間後に診察に来るようにと言われた。

この1週間は気が気じゃなかった。子宮外妊娠でありませんように・・・

| | コメント (0)

双子妊娠までの道のり その2

その1からの続き。

午前10時半くらいだろうか、再度Kクリニックに行く。
待合室で雑誌を読みながら待つこと数分。いよいよ、である。
ドクターがエコーを見ながら多分明日排卵が起こるであろうと言った。
私はてっきり排卵後に人工授精だと思っていたので、順番が逆なのはとても意外な感じがした。
痛いかな~、大丈夫かな~、少し不安もあったが、今の自分の状態はまさに「まな板の上の鯉」だ。もう後戻りできない。

何か器具を入れられたが、痛みは感じなかった。そしてあっという間に終わった。思ってたより全然楽勝だった。
2週間くらい生理が来なかったら妊娠の可能性アリなので、そしたらまた来てくださいね、と言われてクリニックを後にした。

そしてその数日後、旦那様は約3週間の中国出張に旅立っていった。
当時旦那様は2ヶ月に1回3週間ほどの中国出張を繰り返していたため、タイミングを合わせるのに結構苦労した。
私は彼の不在時はいつもどおりに仕事をこなし、いつも以上に友人と遊ぶ、という日々を送るのだ。でも今回は遊んでいても気もそぞろというか、常に頭のどこかに「私の卵ちゃんは旦那様の子孫くんと出会えただろうか」という期待と不安があった。

人工授精後10日ほどたって、待ちきれなくなった私は市販の妊娠検査薬を使ってチェックしてみた。あたりまえだが、生まれてこのかた陽性反応は見たことがない。
すると、あっという間に陽性反応を示すラインが浮き出てきた。

ええええっ!!!!こんなに簡単に妊娠????

これが素直な感想だった。
正直全く実感が湧かず、でもちょっと嬉しい、みたいな。
国際電話で旦那に話すと、「嘘だ~」と信じてもらえず。いやぁ、私も信じられないんですけどね、でもラインくっきり出てるし、マジで妊娠しちゃったんじゃないのぉ?
こうなると居ても立ってもいられない、翌日はちょうど土曜日で仕事も休みだったので、朝イチでクリニックへ行くことにした。

・・・続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

双子妊娠までの道のり その1

2004年12月1日午前、私は某レディースクリニック近くのロイホで少し遅めの朝食を食べていた。予約時間までまだ少しある。行儀が悪いが食べながら友達に携帯メールを打ったりしていた。

この日、私は初めてのAIH(人工授精)を行う予定なのだ。

私は初潮の頃からずーーーーーーっと生理不順だった。
ヘーキで1年くらい来ないときもあった。
まぁそのうちちゃんと整うだろうと思っていたが、一向に生理不順は治らなかったのでさすがにヤバイと思い、高校卒業後から産婦人科通いをしていた。
大学時代も、就職してからも産婦人科通いは続いた。薬で生理を起こしても、薬を飲まなくなればやはり来ないのだ。相当ガンコな生理不順だった。

26歳で旦那と結婚し、新潟から長野に移り住んでまず最初にしたのは産婦人科探し。
ネットで検索すると「Kクリニック」が出てきた。口コミではなかなか良さそうだ。とりあえずここに通ってみることにした。
長野県にはかの有名な「諏訪マタニティークリニック」があるが、ここには行く気になれなかった。諏訪マタが嫌だったのではなく、時期尚早というか、ここは本当に最後の砦に取っておきたかったからだ。

結婚してから3年、仕事をしながらずっとKクリニックに通いタイミング療法をしてきたが子宝には恵まれなかった。私は無排卵の上に片方の卵管が詰まっていた。きっと体外受精じゃなきゃ無理だよなー・・・健康保険使えないから1回30万円として、何回までできるだろう・・・と預金通帳とにらめっこしながら漠然と考えていた。

そして2004年秋、不妊治療をステップアップさせる決心がついたのでドクターにその旨を伝えた。まずは人工授精(費用は1回3万円ほど)からやってみましょうと言われた。
クロミッドを飲んで数日後、エコーで卵胞の育ち具合を確認する。確かに卵胞は育ってはいるものの、卵管が閉塞している方の卵巣だったため、ドクターからこのまま排卵に至っても多分ダメでしょうと言われた。ゆえに今回の人工授精は見送り。

生理後、再度卵胞を育てる。
今度は飲み薬のクロミッドではなく、もっと強い作用の注射で行うことになった(薬の名前忘れちゃった)。10日間毎日お尻に注射を打つ。日曜祝日でもクリニックに行って注射を打ってもらう。幸い理解ある職場だったし、丁度仕事も忙しくない時期だったので、毎日通院のための遅刻・早退を許してもらっていた。
今回は強い薬だけに副作用も出てくる。私の場合、卵巣が腫れて水が溜まった。早足で歩くと下腹部に痛みが走る。でもこれは想定内のことだからあまり慌てなかった。

そして再度エコー。
今度は両方の卵巣にたくさん卵胞が育っていた。
これなら大丈夫。ということで、改めて人工受精の予約を入れた。

・・・前置きが長くなったが、今日がその日なのだ。

早起きをして、旦那様にお願いして細長い密閉容器に「子孫くんたち」を入れてもらう。その「子孫くんたち入り容器」は人肌に温めながらクリニックに持っていかなければならない。予め看護師さんから「ブラの谷間に入れてくるといいわよ」と言われていたのでその通りにする。ものすご~く変な感じだ。このままの状態で車を飛ばし、クリニックに到着。「子孫くんたち入り容器」は無事提出された。その後受精の準備に1時間半ほどかかるため、私はロイホで時間を潰すことにしたのだ。

さて、そろそろ時間になった。クリニックに行こうか。

・・・続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ポイして!

最近弟コウがマスターしたのは

オムツ捨て。

オムツ替え後、私が「これポイして!」と言うと、自分の使用済みオムツを持ってテッテケテッテ~と小走りにゴミ箱へ一直線。ポイっと投げ捨て「ウマイネー」と言いながら自分に拍手している。
この姿、とても可愛いのよ~。

ユウはまだ完璧じゃなくて、ゴミ箱付近間まで持っていくけどうまく入れられない。
でもマスターするのも間近でしょう。

二人ともどんどん知恵がついてきて、嬉しい反面、ポケ~っとした赤ちゃん時代が懐かしく思えたりもして、母は複雑です。
でもこうやって人間が成長していく様をずっと見ていられるのは本当に素晴らしい経験。子供から学ぶこともたくさんで、日々勉強させてもらってますわ。
きっとあっという間に彼らは大きくなって、母に甘えることも少なくなっていくんでしょう。そのうち「ウゼ~んだよ」なんて言われたりしてさ(涙)
今のうちにたっぷり可愛い時期を堪能しておかなきゃ!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大姑の涙

義父母の家はウチから歩いて2~3分の距離にある。
毎日夕方になると子供たちを連れて行き、そのまま2時間ほど預かってもらい、
私はその間家に戻って掃除したり夕食の準備をするという・・・非常にありがたいシステムが整っている。

今日も同じように子供たちを連れて行き、「いないないばぁ!」も始まったところで私だけ自宅に戻ろうかと思っていたら、外にタクシーが来た気配。義父の母、大姑の訪問である。
ずっと前にこのブログで大姑のことを書いたが、ハッキリ言って私はこの大姑が嫌いだ。里帰り出産後ツインズ連れて長野に帰ってきてからというもの、この大姑が頼んでもいないのにま~張り切っちゃって張り切っちゃって。年寄りのくせに何でもズケズケ言う気性の強さにすっかりやられてしまった私は何度も涙を流す羽目に・・・
まぁでもお陰様で今ではすっかり私も図太くなって、大姑が来ても目も合わせず、キツイ皮肉も笑い飛ばせるようになったのだが。

その大姑、最近めっきり体が弱くなったらしく、病院通いが続いているとのこと。御年90近いから仕方ない。今日の訪問も久しぶりだった。

大姑が玄関に入ろうとする物音を聞きつけてユウコウが玄関に走っていった。ユウコウの姿を見た大姑は、

いや~、かわいいねぇ~、本当にかわいいねぇ~・・・

と言ったきり、言葉もなく、そのまま家に上がらずその場に立ちつくしていた。
笑っているような、困っているような、何か言いたそうな表情をして。
何だか様子がおかしい。
それがなぜだかすぐに分かった。
大姑は泣いていたのだ。
子供を見てただただ泣いていたのだ。

それを見た私も泣きそうになったが、ぐっとこらえた。

あの気の強い大姑が、もしかしたら自分の最期が近いと感じているのかもしれない。
可愛い盛り、生命力にあふれているユウコウの姿を見て胸にくるものがあったのかもしれない。

大姑にはさんざん不愉快な思いをさせられた。ウザイと毛嫌いしていた。あの人が死んでも悲しくもないし嬉しくもないわ、と思っていた。
でも今は違う。
きっと大姑が死んだら、泣いてしまうだろう。
ああ、今こんな風に思えて良かった。
死んでからじゃ遅すぎる。
あの人が生きている今、こんな風に思えて良かった。
直接「ありがとう」を言えるじゃないか。
本当に良かった。
カミサマ、ありがとう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »