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2008年2月

旦那へ

あと2週間くらいで決めなきゃいけないことがある。


私一人では決められないことで、

でも旦那は話し合いを避けていて、

(話し合い以前に私を避けている)

体もだるいんだけど、そのことを旦那の両親に言えないから

がんばっていつもどおりツインズの相手をしてしまう。

で、疲れと旦那に対するイライラでツインズに八つ当たり。

チビッ子2人にはいい迷惑だ。


彼が私を避ける理由は分かっている。

「罪悪感」

これに尽きる。

だからアタシの目を見ることもできないんだろ。


罪悪感を感じるのは結構。

でもな、

時間がないんだよ。

どうすんだよ。

自分の殻に籠ってないで行動しろよ。

こんな重苦しい空気、誰も望んでないわけ。

アタシは眠いんだ、だるいんだ。

何とかしろ、この野郎!!

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大往生

2月7日のこと。

旦那のばあちゃん、つまり大ばあちゃんが亡くなりました。

大ばあちゃんについては、まーいろいろ思うこともあったので、以前もブログに登場しております。

こんなこと

書いてたりして。


でもその1年後は

私の中で勝手に和解


和解後もムカっとすることはあったけれど、以前よりは大人の対応をすることができるようになったアタシ。


さて、そんな大ばあちゃん、腎不全であっけなく旅立ってしまいました。
こないだまで元気だったのに、すごく変な感じです。
っていうか、ああいう人は長生きするもんだと思っていたから、早く逝ってしまったことが本当に意外。


状況が分かるはずもないツインズ、顔に白い布が被せられ、布団に横たわった大ばあちゃんに気付かず(ただの布団の山だと思ったらしい)、その上に登ろうとしたり(!!)、供え物のリンゴをかじったり、お焼香に手を突っ込んだり、やりたい放題。

まぁきっと大ばあちゃん、そんな様子を笑って見ていたことでしょう。


そうそう、ちょっと面白い、不思議な話がありました。

今回大ばあちゃんが亡くなったのが2月7日。

大じいちゃんは既に他界しているのですが、亡くなったのはなんと9年前の同じ2月7日!!
皆、「ああ、じいちゃんが迎えに来たんだなぁ」と思ったそう。



もひとつ、昨日の葬儀の間、私とツインズが家でお留守番をしていたとき。
居間でドタバタと遊んでいたツインズ弟が急に


「・・・ばぁば、帰ってきた」


と、一言。


え?
何?

私が聞き直すと、


「おっきいばぁば、帰ってきたの」


・・・もしかしたら、大ばあちゃん、ツインズの顔を見にやってきたかもしれません。

同じく留守番をしていた旦那のおばさんから聞いたところによると、大ばあちゃんはよくおばさんたちにウチのツインズの話をしていたとのこと。
とにかく可愛いんだと、泣きながら話をしていたそうです。


ま、大ばあちゃんとは本当にいろいろあったけど、今となればただの思い出。

とにかく大ばあちゃんが生きている間に私の中で和解できて良かったなぁと、穏やかな気持ちで見送ることができて良かったなぁと、ただそれだけですわ。


悔い、無し!


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妊娠8ヶ月後半 出血が!

今回で双子の妊娠回顧録は終了~。

いよいよ次回からは双子の「出産」回顧録を書き綴ります。

2005年6月を思い出して書いているので、記憶があいまいなところがありますがご容赦くださいませ。

それまでの回顧録は左のカテゴリ「双子妊娠回顧録」からどうぞ。

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切迫早産での入院生活も3週間を超えたある日の朝、トイレに行った私は思わず息を飲んだ。

少し出血していたのだ。

すぐに助産師さんに報告し、その後ドクターから診察してもらったが、子宮口は開いていないとのこと。
これはいわゆる「おしるし」ってヤツで、出産間近を知らせる出血だ。

そしてお腹の張り(子宮の収縮)も5分間隔になった。

お腹の張りを計るモニター結果を見た助産師さんの顔色がさっと変わり、「5分置きになったね・・・なったよね・・・」とつぶやきながらナースステーションに早足で帰って行く。


どーなるんだべー・・・


不安を覚えながらもイマイチ事の重大さが分かっていないアタシ。
いや、分かっていないというよりは、分かっているんだけどピンと来ていないという方が正しい。

確かにお腹は軽く張っているが意識をお腹に向けなければ感じないくらいの微妙な張り。全く痛くない。
出血も少量ですぐおさまった。
出産の兆候があるとはいえ、その他はなーーーんも変わりないのだ。


いよいよ日赤に搬送なのかな~お腹パックリ切られちゃうのかな~


まだ妊娠31週。予定日まで2か月もある。
今出産となれば、NICU完備の長岡日赤に救急車で母胎搬送→帝王切開だと聞かされていた。

午前中は先生が外来診察中なので私の処遇が決まるのは午後に持ち越し。
落ち着かないので友人にメールしたり、母に電話して「日赤に転院かも。そしたらお見舞いに来るの大変だよねぇ・・・」と話したりした。


外来が混んでいたのか、夕方近くになってやっとおじいちゃん先生がやってきて、説明してくれた。


結論、


まだ転院はしない。


新潟県中越地区で一番設備の整った病院である長岡日赤は、緊急度・リスクの高い患者さんを受け入れなければいけないため、受け入れ数を制限している。
タジーさんは確かに出産の兆候が現れてはいるけれど、かといって今すぐ出産となるともいえない。なのでもうちょっと様子を見よう。

こんな感じのことを言われた。

・・・ちょっとホッとした。
せっかく病棟の助産師さんたちと仲良くなれたから、このままここで出産したいと思っていたし、長岡日赤まで実家から車で1時間かかる。お世話しに来てくれる母の負担を考えたら転院はなるべく避けたかった。
でも子供たちの安全を考えたら長岡日赤の方が安心ではあるんだけど・・・。

というわけでまだこの病院での入院生活は続くのだ。
いよいよ点滴のウテメリン濃度マックス。
ウテメリンの他に別の薬もブレンドされていたが、名前は忘れてしまった。


こーなったら産んでたまるかっ!


俄然やる気が出てきたアタシ。

気合いを入れるために、というか気分転換に、朝食をごはん食からパン食に変更したいと申し出た。
本当にささやかなやる気だ。

ま、結局今の私にできることといったら、なるべく動かないようにしていることと、祈ることだけ。

そして夜になり、雨が降りだした。
6月末、梅雨時の新潟の不快指数といったら相当なものだ。
日中はクーラーが効いているものの、夜になると自動で切られてしまう。

消灯前に旦那にメールした。


蒸し暑くて眠れないよう


すぐ返信が来た。


今週末、扇風機持って行こうか?


・・・それについて私はなんと返信したか、3年近くたった今では覚えていないが、扇風機を届けるためだけに長野から車を飛ばして新潟にやって来ようとした旦那は優しく、そして暇人だったのだろうか。

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