妊娠8ヶ月後半 出血が!

今回で双子の妊娠回顧録は終了~。

いよいよ次回からは双子の「出産」回顧録を書き綴ります。

2005年6月を思い出して書いているので、記憶があいまいなところがありますがご容赦くださいませ。

それまでの回顧録は左のカテゴリ「双子妊娠回顧録」からどうぞ。

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切迫早産での入院生活も3週間を超えたある日の朝、トイレに行った私は思わず息を飲んだ。

少し出血していたのだ。

すぐに助産師さんに報告し、その後ドクターから診察してもらったが、子宮口は開いていないとのこと。
これはいわゆる「おしるし」ってヤツで、出産間近を知らせる出血だ。

そしてお腹の張り(子宮の収縮)も5分間隔になった。

お腹の張りを計るモニター結果を見た助産師さんの顔色がさっと変わり、「5分置きになったね・・・なったよね・・・」とつぶやきながらナースステーションに早足で帰って行く。


どーなるんだべー・・・


不安を覚えながらもイマイチ事の重大さが分かっていないアタシ。
いや、分かっていないというよりは、分かっているんだけどピンと来ていないという方が正しい。

確かにお腹は軽く張っているが意識をお腹に向けなければ感じないくらいの微妙な張り。全く痛くない。
出血も少量ですぐおさまった。
出産の兆候があるとはいえ、その他はなーーーんも変わりないのだ。


いよいよ日赤に搬送なのかな~お腹パックリ切られちゃうのかな~


まだ妊娠31週。予定日まで2か月もある。
今出産となれば、NICU完備の長岡日赤に救急車で母胎搬送→帝王切開だと聞かされていた。

午前中は先生が外来診察中なので私の処遇が決まるのは午後に持ち越し。
落ち着かないので友人にメールしたり、母に電話して「日赤に転院かも。そしたらお見舞いに来るの大変だよねぇ・・・」と話したりした。


外来が混んでいたのか、夕方近くになってやっとおじいちゃん先生がやってきて、説明してくれた。


結論、


まだ転院はしない。


新潟県中越地区で一番設備の整った病院である長岡日赤は、緊急度・リスクの高い患者さんを受け入れなければいけないため、受け入れ数を制限している。
タジーさんは確かに出産の兆候が現れてはいるけれど、かといって今すぐ出産となるともいえない。なのでもうちょっと様子を見よう。

こんな感じのことを言われた。

・・・ちょっとホッとした。
せっかく病棟の助産師さんたちと仲良くなれたから、このままここで出産したいと思っていたし、長岡日赤まで実家から車で1時間かかる。お世話しに来てくれる母の負担を考えたら転院はなるべく避けたかった。
でも子供たちの安全を考えたら長岡日赤の方が安心ではあるんだけど・・・。

というわけでまだこの病院での入院生活は続くのだ。
いよいよ点滴のウテメリン濃度マックス。
ウテメリンの他に別の薬もブレンドされていたが、名前は忘れてしまった。


こーなったら産んでたまるかっ!


俄然やる気が出てきたアタシ。

気合いを入れるために、というか気分転換に、朝食をごはん食からパン食に変更したいと申し出た。
本当にささやかなやる気だ。

ま、結局今の私にできることといったら、なるべく動かないようにしていることと、祈ることだけ。

そして夜になり、雨が降りだした。
6月末、梅雨時の新潟の不快指数といったら相当なものだ。
日中はクーラーが効いているものの、夜になると自動で切られてしまう。

消灯前に旦那にメールした。


蒸し暑くて眠れないよう


すぐ返信が来た。


今週末、扇風機持って行こうか?


・・・それについて私はなんと返信したか、3年近くたった今では覚えていないが、扇風機を届けるためだけに長野から車を飛ばして新潟にやって来ようとした旦那は優しく、そして暇人だったのだろうか。

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妊娠8ヶ月半ば お腹の張りとはなんぞ?

やっと8ヶ月半ばまできた双子の妊娠回顧録。

出産まであと少しだ。

それまでの回顧録は左のカテゴリ「双子妊娠回顧録」をご覧くださいませ。

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妊娠8ヶ月に入った直後に切迫早産で入院してしまった私。

患者さんの入れ替わりが早い産婦人科病棟では10日も入院すればすっかり病棟の主のようになる。
24時間点滴の針が腕にささっているのは嫌だったが、看護師さんたちの合コン事情や、あの看護師さんには彼氏がいる、とか、あの先生の趣味は○○だ、とか、いろんなことが聞けたりしたのはとても面白かった。


話は変わり、

「お腹の張りは注意信号!」

これは妊娠したら誰でも言われること。
もちろん私だって知っている。

がっ、

切迫早産で入院して初めて自分が「お腹の張り」というものを実は理解していなかったことに気付いた。
触ってみて空気のたくさん入った風船のようにパーンとしていたら、それは張っているということ。
私はもっと痛くなるくらいカチカチになる状態が「張っている」と勝手に思っていたのだ。
つまり「張り」のハードルはかなり低かったことになる。
私は今までお腹が張っていたにも関わらず、検診時にドクターから「お腹が張ったりしませんか?」と訊かれても

大丈夫でーす

なんてのんきに答えていたのだ。

同室の切迫早産仲間・エミちゃんもそうだったと言っていた。

初産なんてこんなもんかもしれない。
体験してみなきゃ分からないもんだ。

さて、切迫早産での入院はとにかく1日中横になっているしかないので、お見舞いに来てくれる友人や、同室のエミちゃんや、助産師さんたちとおしゃべりするのが唯一の楽しみだった。

私の父方と母方のばあちゃん2人もわざわざ見舞いに来てくれた。

それぞれ元気な93歳と88歳。

ベッドに横たわる私は30歳。

なんとも奇妙な光景だ。

年寄りは贈答品が「量で勝負」だったりする。
母方のばあちゃんはアルファべットチョコ1kgとケーキ10個を持ってきてくれた。
そんなに食えないっつーの。
気持ちだけ有難くいただいて、後で来た母に持ち帰ってもらった。

そんなこんなでようやく妊娠30週に突入した私。
やっと大台だ~。

胎児の肺の機能が整うのがだいたい妊娠32週。
知り合いの双子ママも32週で出産したと聞いたので、とりあえずあと2週間がんばれば子供は安心だと考えていた。
だが、そんな気持ちとはウラハラに子宮の収縮は治まらず、ウテメリン点滴の濃度は確実に上がっていった。

ちょうどその頃、同室のエミちゃんがめでたく正規産期に入ったので退院することとなった。
「すぐにまた会えるね~」とお別れした。

エミちゃんが退院した翌日、そのベッドには50歳くらいの子宮がんの患者さんが移ってきた。
年齢も離れているし、しかも向こうはがん摘出手術後。
2人部屋だから話をしないのも気まずい。
だけど一体何を話したらいいやら・・・
確か当たり障りないような会話をしたような気がする。

その患者さんが退院した後にやってきたのは、やはりがん患者さんだった。
しかしその人は退院間際の部屋調整?だったらしく、朝同室になったと思ったら夕方には退院していった。

・・・そしてまた一人になったアタシ。

次は誰が入ってくるのかなぁ、今度は切迫早産仲間だといいんだけどなぁ、なんて思っていたのだった。

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妊娠8ヶ月 出産方法はどうする?

2007年中に書きあげられなかった双子の妊娠回顧録。
今年こそ「完」としますわ。

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妊娠8ヶ月に入ったばかりなのに「いつ産まれてもおかしくない」と緊急入院した私。

先生曰く、

もし妊娠9ヵ月半(2005年7月14日)以前に産まれそうになったら、子供の安全を考えて、新生児用ICU(NICU)完備の長岡日赤病院に救急車で母胎搬送&帝王切開で出産になるだろうとのこと。


本来の予定日が8月25日、

入院したのが6月3日、

目標は7月14日。


とりあえず1ヶ月半入院するのだ。

先は長い、ちゃんともってくれるかなぁ・・・
病室のカレンダーを見ながらつぶやく。


・・・さて、このブログをご覧になっている皆さん、双子の出産はどうやって行うと思いますか?

自然分娩?帝王切開?

これは病院によって方針が違うからなかなか興味深い。
絶対に帝王切開、というところもあれば、自然でできるなら自然で、というところもある。

ちなみに、私が現在参加している双子サークルのママさんたちに出産方法を聞いてみたところ、断然帝王切開が多かった。
割合にして8割強ってところか。

私が入院・出産した病院は双子の出産でも「妊婦さんが望む方法」での出産をとりおこなってくれるところだった。

切迫早産で入院中、助産師さんがやってきて出産希望書みたいなものを手渡された。

内容はあまり詳しく覚えていないけれど、自然分娩か帝王切開か?とか、家族の立会いを希望するか?とか、かけて欲しいCDはあるか?とか書いてあったと思う。

ずっと「双子だし帝王切開だろうなー」と考えていた私は、突然浮上してきた”自然分娩”という選択肢にとまどい、とても迷った。

子供の安全を考えたら帝王切開なんだろうなぁ。
でもお腹切るの怖いなぁ、それに3人目が欲しいと思ったら自然の方がいいかなぁ、
でももしも子供に何かあったらなぁ・・・

堂々巡りで決められない。

初々しさの残る2年目の助産師マキちゃんに「決められないよぅ」と言うと、「回診のときに先生に相談してみたらどうですか?」と進言されたので、さっそく回診時おじいちゃん先生に尋ねてみた。

すると、

こちらは自然でも帝王切開でもどっちでもいいよ。
でも7月14日以前に出産になってしまうと帝王切開になる。
今出産方法どうしようなんて考えなくていいから、とにかく赤ちゃんをお腹に入れていることだけに集中して。

と返ってきた。

ちょっとションボリしたアタシ。
じゃあ私に希望の出産方法なんて訊かないでよ、フン。


結局自分はどうやって産むのかワカランけど、やっぱり帝王切開のような気がする。
その後同室の切迫早産仲間・エミちゃんと一緒にラマーズ法の呼吸を教わったけど、私はあまり真剣にやらなかった。


・・・だって、どうせ帝王切開だし。

 

 

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妊娠8ヶ月 24時間点滴生活

妊娠8ヶ月 今度は切迫早産 の続き。

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早産の恐怖に襲われて病室のベッドの上で泣いていた私だったが、点滴をうちに看護師さんがやってきたので急いで涙をぬぐった。

投与されたのは切迫早産時の超有名薬、ウテメリン。
24時間点滴生活の始まりだ。
3日に一度点滴針を交換する際、先生が許可してくれれば短時間だがシャワーも使えるとのこと。

私に許された行動範囲は病棟内のみ。
トイレと病室の往復だけだ。
だが、他の病院はもっと厳しいらしく、とにかく歩行禁止でトイレもポータブルにするところも多いらしい。シャワーなんてもってのほか。

ウテメリン点滴を入れてしばらくすると、手が震え始めた。
入院のための書類を記入しなきゃいけないのに手が震えて字がうまく書けない。


そういうものですよ


美形の助産師、ヤベちゃんが言った。
彼女が私の担当だ。


点滴を入れて程なく、私は2人部屋に移された。
「おめでたい大部屋」から離れることができてとにかくほっとした。

部屋には先客がいた。
同じく切迫早産で入院中のエミちゃん。
見ず知らずの他人と2人きりで24時間過ごすことになるのだ。
最初のうちはお互い距離を取りつつ、遠慮もしつつ、たまに話をするくらいだったのだが、2日も経てばもう仲良しだ!
お互い身動きできないのでベッドに寝たままずっとおしゃべりしていた。

エミちゃんは私より1週間ほど早く入院していたため、病棟のことにやたら詳しく、治療内容や助産師さん情報をいろいろ教えてくれた。
そして病棟の助産師さんたちもとても親切で、気軽に雑談もできる雰囲気だった。
お陰で不安な気持ちも薄れて、むしろ入院生活がとても楽しいものになった。


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妊娠8ヶ月 今度は切迫早産

やっと8ヶ月まできた、双子の妊娠回顧録。

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2005年5月末、出産に備えて実家に里帰りした私は、さっそくその週末に地元友人たちと晩御飯を食べる約束をした。

幹事の友人が小さなレストランを予約してくれた。

家庭的な雰囲気のお店で、味はモチのロン!
中でも私の一番の楽しみはコースの最後に出てくるデザートプレートだ。

ケーキ、シャーベット、フルーツ、プリン・・・大きなお皿に色とりどりのスイーツが盛られていて、どれも本当に美味、美味。
あ~~幸せ、とつぶやきたくなる。

その楽しみにしていたディナーの日は、午前中に妊婦検診に行くことになっていた。
実家に帰ってから初めての検診だ。
出産することになるであろうこの病院は、とても古~い県立病院だ。
私が5歳のときに盲腸で入院したときと変わっていない低い天井、売店、食堂。
当時の記憶が蘇る。

この病院の産婦人科の医師は2人。
1人は50代半ばくらいのおじいちゃん先生。
もう1人は40代半ばくらいのメガネ先生。
この日はおじいちゃん先生が検診担当だった。

名前を呼ばれ、内診台に上がる。
内診台も古いヤツなので、大きなお腹をかかえて「よっこらしょ」と自分でよじ上らねばならない。それまで通っていた長野の病院の内診台は自動で動いてくれたのに・・・。

じゃあ診ますねー

おじいちゃん先生が言った直後、激痛が走った。

痛ッ!!!

思わず声をあげてしまった。
だって本当に痛かったんだもん。今までこんな痛みはなかった。

ああ、ごめんねー、痛かったかなー

おじいちゃん先生はひょうひょうと内診を続ける。

そして、

んー?あれ?・・・

と不穏につぶやいた。

その後はエコー。
モニター画面を見ながら説明を受ける。

子宮の出口(入口?)が薄くなっていて、いつ陣痛が始まってもおかしくない状態だということ。
つまり、切迫早産。
即日入院である。

検診即日入院は切迫流産で経験済みなので、今さらあわてることはない。
いつ入院してもいいように入院グッズはボストンバッグに入れて用意してあった。
母に連絡してそれを持ってきてもらうだけだ。

その後お腹の張り具合をモニタリングする。
子宮の収縮(お腹の張り)と子供の心音が記録される。

子供の心音は問題なし。

お腹の張りは看護師さんが「さざ波」と表現していた。
そのときはよく意味が分からなかったが、わずかだが定期的に子宮が収縮し始めていたらしい。

モニターが終わると、病室に通された。
6人部屋で、私以外の皆、出産を終えた人たちだった。
赤ちゃんにおっぱいをあげている人、家族がお見舞いに来ている人、
とても和やかな光景だった。

だが、そんな光景の中で私一人が確実に浮いていた。
急に悲しく、怖くなった。

早産して子供に何かあったらどうしよう
不妊治療は私のエゴだったのか
子供たちに申し訳ない・・・

そんなことがぐるぐると頭を駆け巡って涙が出てきた。

どうにもいたたまれなくなって、ベッド横のカーテンをしっかりと閉めた。

・・・続く。

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妊娠7ヶ月 出産準備

今年中に書き終えたい、双子の妊娠回顧録。(間に合うのかっ?)

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2005年5月。妊娠7か月に入った。

ますます腹がデカくなった。


いつ産まれるの?

8月下旬が予定日です

え?それにしてはお腹大きいよね??

はい、2人入ってるんで(苦笑)


という会話をどれだけしただろう。


出産後もビキニを着るのだ!と妊娠4か月頃からずっと妊娠線防止クリームをぬりたくったのだが、クリームの効果よりも私の腹がデカくなるスピードの方が早かったようで、残念ながら腹にはどんどん稲妻が刻まれていった。
そして出産から2年経った今でも消えることはない・・・。

この頃はとにかく子供を迎える準備に明け暮れていた。
子供の肌着などの細々したものから、大物まで、とにかく買い物しまくった。
一気にお金が吹っ飛んだ。

中でも大物中の大物は、

車。

そして、

家。

車はほぼ衝動買いに近かった。

ちょうど当時旦那が乗っていた三菱レグナム(ヤン車仕様)の買い替えを検討していたときで、たまたまドライブ中にホンダの販売店の前を通ったら、やたら安い価格のステップワゴンが目に入ったのだ。
新車なのに通常の50万円引きくらいだったと思う。
そのまま販売店に寄って話を聞くと、もうすぐフルモデルチェンジで新型ステップワゴンが発売になるので、旧モデル在庫を処分したくて激安価格になっているとのこと。

もう家を買うことが決まっていたので、車は安いに越したことはない。
速攻で見積もりを出してもらったら、予算の200万円以内に収まった。

・・・買います!

新型ステップワゴンは両側スライドドア。
我々が買った旧型は片側スライドドアだけど、子供が活発に動く今になって分かった、とりあえず片側のドアだけ注意すればいいっていうのは本当に安心だ。
そして何よりワンボックスカーはファミリーに優しい。
子連れでドライブ中に車内でおむつ替えができるっていうのは本当に有難い。
あの広い車内を経験してしまったら、もう他のタイプの車には乗れない。

その激安ステップワゴンが納車された数日後、私は出産のために実家に里帰りした。
妊娠7か月終わりのことだった。
普通なら妊娠9ヶ月とか臨月に入ってから里帰りするのだろうが、そこは多胎妊娠。何が起こるか分からない。早め早めに行動しておかないと。

旦那様とはしばらく遠距離生活になる。
結婚前も4年間遠距離恋愛だったし、結婚後も旦那様は海外出張で年の4分の1ほど家を空けていたし、離れるのには慣れている。全く寂しくなんてない。


実家に着いて速攻、


帰ってきたよ!短時間なら外出できるからご飯食べに行こうよ!


地元友人にメールを打つことに精を出していた私だった。

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妊娠5ヶ月 性別はいかに?

いーかげんに書き進めろよ、双子の妊娠回顧録。

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妊娠5ヶ月になると、いよいよ体型がそれらしくなってきた。
やはり2人入っているだけあって他の妊婦さんと比べて腹がデカくなるのが早い。
通常は妊娠5ヶ月になると「安定期」なのだが、基本的に多胎妊娠に安定期はない。
無理は禁物なのだ。

この頃になると性別も分かるようになるとのこと。
男か女か、出産までのお楽しみに取っておくなんて私にはできないので、検診時に聞いてみた。

当時私は何の根拠もないのに赤ちゃんは2人とも女だと思い込んでいた。
何というか、自分の体から異性が生まれてくるということが想像できなかったのだ。
旦那も「男はいらない、ムサい。」と言い続けていたので、夫婦揃ってそれまで女の子の名前しか考えていなかった。

がっ、

エコーにはハッキリとちんちんが映っていた。

しかも2人とも。

お腹の子供達に悪いと思いつつも、正直、かなりショックだった。
旦那も明らかに落胆していた。

昔と違い、結婚しても実家に気軽に行き来できるこのご時世は女の子が人気だそうだ。
お腹の子が男の子だと判ると堕してしまう人もいるとか。

かの有名な諏訪マタニティークリニックでは、出産まで絶対に性別を教えないのだそうだ。検診時のエコーもモニターを妊婦さんには見せない徹底ぶりが有名。

せめて1人くらい女であって欲しかった・・・。
当時は切にそう思っていた。
今でも可愛い女の子用の服を見ると「やっぱいいなぁ~」とため息をついてしまうこともあるのだが、育ててみれば男の子もおバカで単純で可愛いから良しとしよう。

また、ちょうどこの頃地元友人の結婚式に招待されていたのだが、切迫流産での1ヶ月に渡る入院明けで自宅安静を言い渡されていたため、非常に申し訳ないがキャンセルさせてもらった。
久々のおめでたい席、出席したかったけれど仕方ない。

なんせ私のお腹には新しい2人の命が宿っているのだから。

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妊娠3ヶ月 切迫流産の巻 その3

忘れた頃に書く双子妊娠回顧録(苦笑)。
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切迫流産での入院生活は本当にのんびりしていた。

極力動いてはいけないので、ベッドの上で読書したりメールをうったりするしかやることがないのだ。

だが子供達が生まれてきたらこんなのんびりすることはできないだろう、今のうちにのんびりしまくってやろう~と割り切ってダラリン入院生活を満喫した。

入浴はできないので、蒸しタオルで体を拭くだけ。
タオルは看護師さんが持ってきてくれるのだが、忙しいせいか忘れられてしまう日もあった。
そんなときは持参の「水のいらないシャンプー」「水のいらないボディソープ」を使い、自分のタオルで体を拭いた。

毎日午前中に診察。
午後は面会時間となるため、友人や義母・義妹が来てくれた。
夜になると仕事帰りの旦那が自分の夕食持参で来てくれた。
病院食ばかりじゃ飽きるだろうと、旦那が豚の角煮を作って持ってきてくれたこともあったっけ。

この入院生活はとりたてて書くべきネタもなく、とにかく毎日のんびり過ごしていた。だがほとんど動いていないにも関わらず出血はなかなか止まらなかったので、当初2週間の入院予定が結局丸3週間入院することになった。

退院時も完全に出血が止まったわけではなかったので、自宅安静を言い渡された。

2月末の土曜日、旦那が迎えに来てくれて、晴れて私はシャバに出た。
3週間一度も外出できなかったことなんて生まれて初めてだ。

外界がキラキラととてもまぶしく感じられた。

さすがに3週間も寝たきりだと足元がフラフラする。少し歩いただけでも息が切れる。

病院からアパートに帰る途中には「そば集落」なるものがある。
自宅の一角をそば屋にした民家がずらりと並んでいて、それぞれの家自慢の手打ちそば、漬物が味わえるのだ。
さっすが長野県。
私と旦那はそのうちの1軒に入り、天ぷらそばを食べた。
今思えば普通に旨いそばだったのだが、その時の私には本当に本当に美味しく思えた。
これがシャバの味かぁ。
まるで自分に羽でも生えたかのような自由の味がしたのだった。

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妊娠3ヶ月 切迫流産の巻 その2

Kクリニックで健診時に大量出血した私は、隣町の総合病院に緊急入院することになった。
紹介状を書いてもらい、クリニックからタクシーで病院へ向かう。自分で車を運転してはいけないと止められたのだ。
その車中、旦那の携帯に電話した。

この日はちょうど旦那が中国から帰国する日で、私が電話をかけたとき、旦那はまさに香港国際空港に向かうリムジンバスの中だった。

もしもし?どうした?

旦那の声を聞いて安心したせいか、急に猛烈な吐き気に襲われた。

あ、あのね、ううおおおおえええええっ
こっ、これから、うううっ、にゅ、入院、うえっ
する、する、するううっうううっ

後で聞いたが、このとき旦那は私が死ぬんじゃないかと思ったらしい。

ヒィヒィ言いながら何とか用件を伝え電話を切った私にタクシーの運転手さんはビニール袋を差し出してくれた。
本当に有難かった。

・・・しかし私はこの御恩をアダで返すという暴挙をしでかす。

病院に着き、運転手さんにお礼を述べ、料金を支払い、タクシーを降り、受付に紹介状を提出したそのとき、あるものを車中に置き忘れたことに気づいた。

そう、

胃液入りビニール袋

・・・もう、本当にスンマセンスンマセンスンマセン・・・(沈)


気を取り直し、
病院に着いてからは車椅子で診察室まで移動した。
車椅子に乗るのは初めてだった。すれ違う人の視線が何だか少し気になった。

改めて診察を受け、「切迫流産」と診断された。とりあえず2週間ほど入院して出血が止まるのを待つらしい。
病室はトイレ付き個室。
極力歩かないで寝ているように、ということで看護師さんから勧められたのだ。
快適だったけどお値段高いんだよねぇ・・・
後に請求明細書を見てため息をつくことになる。

病室のベッドで横になりながら
ホントに入院しちゃったなー、会社に連絡しなきゃなー、今度会う予定だった友達にも連絡しなきゃなー、なんてことを考えていた。
だが、切迫流産は安静にさえしていれば妊娠を継続できる状態なので、私はこの突然の入院を悲観することもなく、むしろ堂々と休めてラッキー、カロリー計算された病院食が食べられてラッキー、と思っていた。

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妊娠3ヶ月 切迫流産の巻 その1

超久々に双子妊娠回顧録を書くのだ。
それまでの回顧録は左のカテゴリ「双子妊娠回顧録」をご覧くださいませ。

・・・2004年12月に行った人工授精が実を結び、見事妊娠した私だったが、妊娠判明後も流産が心配だったのでしばらくはそのことを周囲に内緒にしていた。当時知っていたのはごくごく親しい友人と、実家の母くらいだったと思う。
やましい秘密を持つと挙動不信になるが、素敵な秘密を持つと気分がハイになる。
未知の双子妊娠に不安を感じながらも、毎日なんだかフワフワとした気持ちでいた。

とはいえ、一番迷惑がかかる職場にはなるべく早いうちに報告せにゃならん、と、当時一緒に仕事をしていた女性と課長には1月半ばくらいにその旨伝え、3月いっぱいで退職することを了承してもらった。

市役所に母子手帳をもらいに行ったのもこの頃だ。当たり前だが、双子だと2冊もらう。母子手帳は市町村によってデザインが違っていて面白い。当時住んでいた市は表紙にいわさきちひろの絵が書いてあるピンク色の母子手帳だった。

新米ママのバイブル、「たまごクラブ」ももちろん購入!
妊娠中の注意事項が書かれてあったり、つわりの乗り切り方なんかが載っていたっけ。
安定期に入るまでは流産に気をつけなければならない。流産になる手前の「切迫流産」とやらも結構多いらしく、読者の体験談が載っていた。

当時職場で嫌な仕事を抱えていた私は、切迫流産で入院したら会社休めるなぁ・・・なんて不謹慎なことを考えることもあった。

さて、妊娠3ヶ月に入りたての1月28日(金)、1日有給をもらって久々にKクリニックに行くことにした。
今度は不妊治療ではない、れっきとした妊婦健診だ。今までとは足取りが違う。

しかし、平日だというのにKクリニックは混んでいて、待てども待てども順番は来ず。
そのうちなんだか気持ちが悪くなってきた。
うううっ。
トイレに駆け込み胃液をリバース。

つわりが再開したのか??

そのうちお尻のあたりに鈍い痛みを感じるようになった。とにかく気持ち悪くて座っていられなかったので、いったん駐車場に停めてある自分の車に戻り、後部座席でしばらく横になった。・・・今思えば看護師さんに言ってベッドで休ませてもらえば良かったのに・・・クリニックが混んでいたから遠慮してしまったのだ。

頃合をみてまた待合室に戻る。
少し待つとやっと名前を呼ばれたので診察室に入る。

私は妊娠経過を話し、先ほどからのお尻の鈍痛を訴えた。
私の話をひととおり聞いて、ドクターは言った。

内診しましょう、どうぞ

かれこれ3年クリニックに通っているが、そういえばこのドクターが笑ったところを見たことがない。少し小さめの声で必要なことだけを話す人だ。もしかしたらぶっきらぼうに思われてしまうタイプなのかもしれないが、私はそんなドクターが嫌ではなかった。常にフラットなところが安心感を与えてくれた。女性にとって産婦人科医の人柄は至極重要だ。

カーテンを閉め、ズボンとパンツを下ろしたところで一瞬息をのんだ。

出血で下着が真っ赤になっていたのだ。

カーテンから顔だけ出し、

あ、あのっ、出血してるんですけど・・・しかも結構・・・

声がうわずる私。

そう・・・とりあえず見てみましょう

やはりドクターは落ち着いていた。

内診台が上がっていく。
こんな出血してるのに診察されるの嫌だなぁ・・・内診台汚れちゃったよ・・・
何を今更、であるが、一応私も女性なのでそんな気持ちがよぎるのだ。

あー、結構出血してるねー

看護師さんたちが慌しく動き始めたのが分かった。

エコーで胎児を見る。

赤ちゃんは大丈夫ですよ

二人とも心臓がピコピコ動いていた。

Img003 大量出血にもかかわらず、私の子宮からこぼれ落ちずにいたユウコウ。
どっちがユウでどっちがコウかは分かりませーん。



内診台から降り、ナプキンをつけてジーンズを履く。色の濃いジーンズなので多少血がにじんでいても気づかれないのが救いだった。

これから入院です

ドクターは言った。
Kクリニックは入院設備がないので、当時住んでいたアパートから車で15分程のところにある総合病院を紹介してもらうことになった。

紹介状を書いてもらう間、私は別室のベッドで横になっていた。
切迫流産になったら仕事休めるなァ~なんて軽く思ったら、本当に入院することになってしまった。私の想いがツインズたちに届いちゃったんだろうか??

つづく。

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